友人と。

バイトが終わった後、友人と合流。
芸能人のSくんです。
一路、「茶房武蔵野文庫」へ。
…また迷いました。
毎回迷うたびに地図を確認し、
今日もバイト先で地図を確認して臨んだのにもかかわらず、迷う。
というか、どう考えても地図と同じ位置を歩いているはずなのに、
見つからない。
仕方が無いので「まめ蔵」へ。何回来ているんだろう。
目的意識を持って辿り着いているわけではないのに(笑)。
でも、このお店のカレーは誰に紹介しても喜んでもらえる。
だから、安心して連れて来ることが出来る。心強いお店だ。
木造の店内は、柱が塗りなおされ、より明るい店内へ。
穏やかで、くつろげる時が流れている。
 
その後、いつものように「a.B.cafe」へ。
イケメンSくんに反応したのか、今日は店員の対応が非常に良い(笑)。
疲れていたのもあって、今日はハーブティーをオーダー。Sくんはカフェラテ。
東京に来てから一年が経過するSくん。
役者志望の彼が事務所に入ってからというもの、
まだそれほど大きな仕事に恵まれているわけではない。
だが、彼は今日、その内に秘めた熱意を語ってくれた。
両親からの愛情をたっぷりと受け取りながらも、
ハングリーさを持っている。わがままに育っていない。
 
僕は母子家庭だ。
母子家庭で育つ境遇と言うのは、
両親が揃っている家庭の境遇を経験した人とは
相容れないものがあり、
やはりたまにズレを感じる。
それでも世間には良く出来た人間も周囲にいて、
僕はそういう意味で人に恵まれてきていると思う。
人に恵まれる、ということはとてつもない財産であり、
たとえ職場などが悪い雰囲気であっても、
どこかで自分を理解してもらえる環境があるという事は
この上なく幸せである、と僕と彼は話した。
 
中には、たくさんの人から信頼や愛情を得られないと
真に幸せではない、と言う人もいる。
だが、たくさんの人に提供できるだけの大いなる気持ちを、
そう言う人は持っているのだろうか。
僕らはいつだって限られた人にしか
気持ちを提供することは出来ない。
100の「気持ち」を少しづつ、
アンパンマンの顔のように
切り取ってはわたし、切り取ってはわたしを
繰り返して日々を過ごしている。
キャパシティ以上のものは与えられない。
ともすれば、キャパシティ以上のものをもらおうとすることも
それはまたアンフェアなのかもしれない。
 
家族の老いを感じる瞬間が、最近多々ある。
齢50に近づきつつある母親の後姿は、
小さい頃僕が見たものとは変わっている。
彼女が生きている間に、僕は何かを残したい。
人はいついなくなるか分からない。
自分も、他人も、その生をまっとうするタイミングがいつかは分からない。
何かそういう差し迫ったものを、日々の中で感じる瞬間が増えた。
 
やみくもな生のなかに潜んでいたくはない。