気がつけば、あれよあれよという間にパソコンを開かない時間が続いてゆく。や、良いことなのだけれど。
ほぼ毎日(たまにさぼる日もあるけれど)周辺の山道を歩いたり、理学療法室の設備を使って運動する日々が続いている。
今のうちに体力を回復させておかないと、夏フェスに身体がついていかない。(不純な動機)良いんです、動機があれば人は動く。
 
そう、それで今ふと思い出したんだけれど、昔から、多かれ少なかれ、目的がないと行動できない性質なのだ。
街に出掛ける時にも「あのお店が見たい」「美味しいものを食べたい」という目的ありきなのだ。
 
昔は、もう少し柔軟だった気がする。
その代表例が大学受験だ。明確な目的はないけれども「皆が行くから行く。どうせ行くなら一番上の大学に行く。」今思えばよくこんな適当な理由づけで受験勉強へのモチベーションが保てたものだと感心するけれど、結局、入学した後は前述のように明確な目的がなかったため、適当な生活のなかに埋没してしまった。
 
今の大学生は、こんな風に何の目的意識も持たずにふらりと大学や専門学校に進学してしまうか、「意識高い系」と揶揄されがちなカテゴリに飛び込んで自己啓発に勤しむかのいずれかに当てはまるように思える。
どちらが良い悪いというのではなく、どっちにしても何らかの後悔はつきまとうし、そうであればその後悔の大きさを少しでも低減できるように生活して欲しいと願って止まない。