ふたりでお買い物。

昼過ぎに起床。
昨日は特におせっくすをするわけでもなく、でも疲れていたので早めに寝た。


起きてコーヒーを飲みながらダラダラして。
彼女さんが見たいものがあるらしいので丸井へ行った。


CD見たり携帯を見たりしてた。
F902iが早くも投売りされていて笑った(笑)。
あれほどすごい、カッコイイと感じていたP902iが今は魅力的に見えなくて。
ボーダフォン702NKIIや604SHのほうが触ってて面白かった。
そんなSinの気分を見越したわけではないと思うんだけど、
ドコモの902iの新規価格が全体的にすごく下がっていた。
でもなんか分かる気がした(笑)。


と言うか・・・俺はずっとずっとボーダフォンに変えたい、変えたいと言っているけど。
いつ変えるんだろうね(笑)。
ただ、今の携帯は変えたばかりだけどちょっと飽きてきた。
2ちゃんのどこかのスレで書かれていたけれど、
"auは安定指向でちょっと面白みに欠ける"、これはもっともだと俺は思う。


電波の良さ、メールの良さ、付加サービスの良さ等いろいろ便利な反面、
ワガママ娘のような憎たらしさがないなぁ、と。
着うたフルやらEZナビウォークなど、エンターテイメント、
あるいは生活で"あると便利"サービスの充実度に関しては、auは文句無いと思う。


でも、完璧すぎてつまらない。
と言うか、歳をとればとるほど、auのサービスは「無くてもいい」ものが増えていく気がする。


ちょっと話は変わりますが。


生活におけるデジタル面のバイオリズムは、20歳から30歳代前半までが
一番大きい山を迎えていて、それ以降は減少していく、
という勝手な仮説を立てて話を書いてみたいと思います。
それを考えると30歳ぐらいまででauが現在提供しているサービスって
"もういいや"
って思えてくると思うんです。


おそらく、auのメインターゲット層もせいぜいその辺りまでだと思う。
でも、ドコモやボーダフォンはそうかと言うと、必ずしもそうだと言えない。
電話以外のサービスが、"生活にありそうで、ない、でもやっぱりある"
言い換えれば伝統的、感覚的なものを内在している感じがします。


例えばドコモの絵文字って、どことなくアナログっぽいでしょ?
あれって、あのショボさが手書きの絵に似た感覚を呼び起こすんです。
あれぐらいのテイスト、クオリティで実はちょうど良いというか。
立体的に見えないから、ある程度アナログ化して読める(見える)んです。
デジタル化されたauボーダフォンの絵文字が滑稽に見える時ありませんか?


テレビ電話もそう。
使わないんだけど、使ったら使ったで顔が見えるので楽しい。
あれは、ひょっとしたら対面の良さを内在しているかもしれないわけです。


ボーダフォンに至っては、"人の手で導き出されているもの"っていうことがすごく分かる。
"え、そんなミスしちゃうの?そんなプラン、提案しちゃうの?"
みたいな、可愛く、甘えさせて言えば"作り手の忙しさ"が見える。
サービスの作り手が忙しすぎる分、端末の充実度は3キャリア中で一番。
それでフォローが出来ている。
だからボーダフォン持ってる人って、こだわりが強いよね。真の玄人思考。
あと、最近のボーダフォンは一番"人とのつながり"を意識してる気がします。


こう考えると、俺が今の携帯に飽きているのは、単純に端末のせいもあるけれど、
キャリア自体の指向にも飽きているのかな、と。
完璧指向を貫きすぎた感は否めない、と個人的には思います。


今上で書いたことは、すべてビジネス、商売を抜きにして考えています。
正しいか誤ってるかも無いイメージで書いていますので、その上で読んでくださいね。


ちょっと話が逸れたけど。
携帯を見終わった後は丸井の男性用フロアで服を見てた。
見ていると、すごくいいコートがあったので、ずっと「良いなぁ、良いなぁ」と言っていたら。
「昨日のお礼にプレゼントするよ。」
と彼女さん。
「本当に?」
素で喜んだ(笑)
というわけで・・・素直に買ってもらった。
今年の冬はこれで過ごします(笑)。


一度荷物を置いて帰宅した後は彼女さんとご飯を食べに。
この数日間ですごく散在しているがノープロブレム。
地味にケチケチ生活を過ごしていた分、今回は金を使いたかった。


23日からずっと出掛けっぱなしだったので、こうしてゆっくりするのもたまにはいい。


帰り道はスーパーで買い物をして・・・風呂に入って手を繋いで寝た。