ともすれば。

 ともすれば、投資ではなく消費の続く日常を過ごしがちだ。食事、娯楽、その他で、人は日々消費(他の意味で)をしている。多くの場合それは後に何かを残すことはなく、気持ちをやり過ごすためのその場しのぎの手段に過ぎない。
 大学、あるいはバイト先に行く時に服装の手を抜きすぎていたらある日指摘された。「手を抜きすぎだよ。」そりゃそうだ、髭も剃っている時と剃らない時があるし、服装もすごくへんてこりんな組み合わせをしている時があったり、髪も朝セットをせずに出ていくのだから。(もちろんある程度は整える)
 なんかね、すっごくきめきめで行くと疲れるし、そうでない日に遭遇された場合とのギャップを感じられることがイヤなんだよね。一番良いのは、「きめきめ」の状態を日常化させることなんだ、とは思うけど。でもさー、すっごくダラダラしてる人がたまにスーツを着るとかっこよく見えるのと一緒で、たまにかっこいい方が良い気もするんだけど。勘違い?かな?
 もちろん、楓さんとデートに行くとき、アポのときはしっかりと気合いを入れてその場に臨むけれど、それ以外の日って、別にどうでもいい、というか、モテてもモテなくても良いというか(笑)。声を掛ける事が日常化しているわけでもないし。
 でも、それって日常遭遇する人たちに対して失礼なのかなぁ。というか、傲慢なのだろうか。でも、「適当にするな」というのもエゴの押し付けである気がする。たとえば僕が上記のように考えていることをいちいち説明せにゃならんのだろうか。いや、それもどうなんだ。きっと相手は親切心で言ってくれたのだから、素直に受け取らないと。
 というわけで今日はすごく丁寧に支度をして家を出て、バイトに向かいましたとさ。