趣味友の大切さ。

 僕は11年間ヨーヨーを続けています。。。と書くと就活の自己PRっぽいのだけど。関係ないけれど、何故若者は自己PRのことを「ジコピー」と言うのですか。アールぐらい言えばいいじゃないですか。文字で書くと『自己(放送禁止用語)』みたいにも読めますね。読めません。
 というわけで今日はそのヨーヨー友達、とは言っても僕の二歳年上で立派に社会人をされており、かつ2月には結婚式を青山で挙げてしまった、僕から見れば勝ち組としか見えないような人と吉祥寺で食事。
 が、そんな僕のうわっつらを見た感じ方とは違い、本人は仕事についていくつか語ってくれた。
 『仕事はねー…僕は失敗したと思っていて、本当は車やバイクに携わる企業に勤めたかった。でも、今はまったく別の分野で仕事をしている。お金も普通に入ってくるけれど、やっぱり7年もいると自分がしたい事をしていないことについてそれなりにジレンマを抱えたりもしているよ。』
 『だからねSinくん、いま色々な業界や会社を見て回れるうちに回ったほうがいいよ。いくら自分に似合わないと思えるような業界でも足を突っ込んでみたほうがいい。業界じゃなくて、本当にしたい事をすごく考えたほうがいい。あと、大手に行った方がいいよ。僕のところには色々な会社から営業がかかってくるけれど、やっぱり大手の会社しか相手にしていないもん。』
 なるほどなぁ。僕の目標は「素敵な伴侶とともに幸せな家庭を築く」こと。コレは僕自身が母子家庭で育ったせいもある。ある程度のお金に恵まれ、人に恵まれ、お仕事をする。そして余暇を家族とともに享受する。それが僕が目指しているもの。
 それらを手にしているように見えた彼からの上のような発言に、僕は結構考えさせられた。幸せの形というものは人によって本当に違う。やはり、仕事と家庭は納得できてこそ。納得できないことを続けたくはない。僕は、いま僕がしている事が生涯にわたって価値のあるものにしていきたい。たくさんの時間を余分に過ごしてきたけれど、後数ヶ月で社会へ飛び出していく。僕が僕のしたいことを見つけ、頑張るように、友達にも諦めないで頑張ってほしくなった。でも、家庭ができてしまうとねー、と言っていた。ん?じゃあ家庭は自由を奪っているのだろうか?家庭はなんのために?うーん。うーん。なんだか悩みながら帰った。
 …幸せの形は明確にしておくべきだ。