救急車に乗りました。

 午前1時を少し回った頃、入浴中の母親が突然脱衣所までやってきて、浴室の窓を叩いた。何事かと問う僕に、胸が苦しい、と訴える母親。普段とは違う神妙な面もちにただならぬ気配を感じ、僕はすぐに入浴を済ませ、出掛ける支度を整えた。
 自宅のすぐ近くの病院に、電話をした。『…症状をお伺いする限り、うちの病院ではお力になれない可能性がありますので、S区の救急センター紹介窓口を紹k(ry』
 役立たずめ。
 そうこうしている間に、母親は『寒い…手が冷たい』と訴える。僕の手に、普通よりも多少冷えているであろう母親の手指が触れる。まずい…。
 『恥ずかしいけれど…救急車を呼んで。。。』
 …僕はすぐにダイヤルをした。生まれてはじめての119。テレビや映画でよく見かけるような一連のやり取りをこなして、僕と母親は自宅付近にやってきた救急車に乗り込んだ。
 僕の6歳の事故のときは、僕がタンカで、母が椅子だった。それが、21年の時を経て入れ替わるなんて。
 色々な経験をしてきたおかげか、僕はこれから何をすべきかを冷静に考え、心を平生に保つことができた。
 それにしても、救急車は発進しない。どうやら、受け入れ先の病院が見つからないようだった。何度も、繰り返し、母親の年齢と症状を伝え直す救急隊の人。なかなか受け入れ先が出てこない。何やってんだ…早くしろ…ニュースで報道される受け入れ先がない、という状況がこのように起き得ることであることを僕は肌で感じた。その間、約20分。
 ようやく病院が見つかったものの、現在地から病院まで15分かかるとのこと。遅い…。
 動き出す救急車内で、僕は母親の手を取り、握り続けていた。冷たさが僕の温もりで解消されるように、ひたすら握っていた。
 起こり得るすべての可能性を考えた。死でさえも。良くないことは考えてはいけないにしても、やはり常に覚悟はしておかなければいけない。
 やがて病院に到着し、母親は心電図を取ってもらった。その結果、特に異常は見あたらないらしい!よかった!安心した。過労やストレスがたたっているのだろう、とのこと。
 
 だが…気になるのは、母親の症状がいっこうに良くならないこと。なんだか、藪医者にかかったような気がしなくもない。うーん。。。
 …そんなこんなで、僕は念のため、朝方まで起きている予定です。