引っ越しして以来手入れをしていなかった自転車を自転車置き場から引っ張りだし、近所の自転車屋で空気入れと注油してもらった。
やっぱり自転車って良いね。ここ半年ほど徒歩で過ごしてた自分に新鮮な感覚を与えてくれた。行動範囲が変わるだけで日常がぐっと変わる。恋人もあわせて自転車を買い換えた。毎日の通勤が相当大変だったらしく、乗り換えてしばらくご機嫌だった。
さっそく自転車に乗って、家から少し離れたショッピングモールへ出掛けた。お互い、冬物セールで気に入った服を買って帰った。

キャノンのショールームでプロフィール写真を撮ってもらえるよ

奇跡の一枚!? プロフィール写真を撮ってみようデジカメwatch
自撮りをいまいちキメきれなくてSNSのプロフィール写真に可愛いネコや海の景色やよくわからん集合写真を設定している人に活用して欲しい。

近頃のIT業界で働く人たちの大半がMacBook Air持ってるのを覆したいと思いつつも、いざ自分が来月から支給される身になると過去に遭遇したWindows独特のトラブルを避けるかのようにMac選ぼうとしてる。これまでの業務をChromeboxとChromebookだけでこなしてたの、クラウド化社会感あって良い。

今日はおそらく初めていまの会社に憤りを感じた日なので、記念に(笑)書き残しておく。

いまの部署には、自分たちのチームの他に外注先(インハウス)が別チームとして仕事をしている。
その別チームへは、自分たちのチームより毎日2名または3名、外注先からのエスカレーションの受付役を担うスタッフが派遣される。
数メートル先の島へ向かうだけなので、座席移動のような感じだw

その受付役も、人によって善し悪しがあり、エスカレーションされる前に異変を察知して速やかに火消しにかかる人もいれば、ただそこにいるだけでエスカレーション役としてほとんど機能していない人もいる。
前者は良しとして、問題は当然後者になるのだけれど、後者のような人が配置された場合、僕は自分の島からその離れた島の様子をたまに伺うようにしている。(物理的にもシステム的にもそういう仕組みがあると思ってください)で、こりゃマズい、という事案があれば、その発生元へ向かい、外注先のスタッフの指導をしている。別にこれを毎日しているわけではなく、気付いた時だけだ。
でも、こういうアクションを自ら行っていると、ふと気にかかることがある。
それは、受付役の人たちの気概、プライドを害していないか、ということだ。
どのような経緯であれ、受付役として派遣されたひとりひとりのスタッフは、どんなに機能していなくても「受付役」としてのプライドは多かれ少なかれ持っていると、僕は思う。
そして、僕が離れた島に向かうことは、受付役の人にとっては「なんだよコイツ、しゃしゃってるんじゃねーよ」「僕らの役目は...?」というように、その人達の立場を無くしているのではないかとも考える。だからこそ、そうした行動を多く起こしたくない。でも、自分が動かないと、目の前の事案は鎮火しない。でも、本来の島にいて、そこでの事案についても対応しなければならない。だから、僕が別の島へ向かうことは本業を逸脱しているとも言える。でも、また別の島で何か起きたら(以下エンドレス

僕がそうした行動を起こすことは良いのだろうか?悪いのだろうか?
数日前から気になっていたことを、今日、月末の定例飲み会の席でマネージャーへ聞いてみた。

答えは、予想もしないものだった。
『うーん、厳しい言い方をすると綺麗事を言っているように聞こえる。そして、これはフィードバックとしてだけれど、自分はこんなに動いていますよ、という単なる自己アピールにしか聞こえない。不快に感じる人もいるよ、きっと』

えぇぇぇぇ。

これを書いている今でも、自分には斜め上の答えだっただけに辛いw(とらえ方のひとつとして、上のように感じる、というのはよく考えると分かった)けれど、思っていたことがまったく伝えられていなくてしばらく落ち込んだ。
なんか、別に僕は自分が仕事してますとかしてませんとかはどうでも良くて、ただ、自分自身と外注先にいる受付役のスタッフとのバランスの取り方について考えていただけだし、受付役の人の配置の仕方とか、オペレーションの仕組みとか、もっと建設的な話にも繋げたかった。
だから第一声が上の内容で、、、しばらくそれがぐるぐる頭の中を駆け巡っていた。

あとで別の人に全く同じ相談をしたら「気にしすぎだ」とあっさり言われて終わったw
や、でも他人を気にしているふりして自分を一番気にしてるように捉えられたんだろうな。たぶん、半分は自分がどう思われているかという感情からも
この内容でも読んでる人に伝わるのかな…伝わらなかったら文章力の欠陥のせいです、はい。
でも、こうして文字にすることで頭の中のもやもやが晴れていく気がする。ブログって大切。

昨夜は久々に8時間眠った。前日、前々日は夜中に目が覚めてしまって、その後しばらく寝付くことができなかったので、おかげで疲れはかなり取れた気がする。
年齢を重ねると早起きになる、なんて自分にはまったく当てはまらなくて、恋人に起こされないと、いつまでも眠っていられる。
休職手前の時は、16時間くらい眠ることもあった。
でもそれは、体にできていた炎症が影響していたらしい。人は、体に起きた異常を静めるために、無意識にかなりのエネルギーを費やしているらしい。
こと、炎症が身体中にできていると、身体は「いのちをだいじに」モードに切り替わり、ひたすらその症状を抑えようと頑張り続けるので、結果的に自分が思うよりも大量にエネルギーを使うそう。
怖いのは、それを知らずに無理を続けている人。疲れすぎてる、体に何かが起きていることを無視し続けると、それはいつか大きな病気のタネになる可能性もある。
そう考えると、身体が悲鳴を上げたら、まずは逃げることが大切なのかも。

この日記をたまに振り返るんだけど、徐々にこれまで書いてきたことの幾つかが叶ったり、それなりにささやかな幸せを得られている。
本田健の言葉を借りるのならば、決めた未来しか実現しない、という感じなのだろうか。決めたつもりはないから、引き寄せの法則のように思ったことがたまたま目の前に来ているとも言える、か。
そんな感じでもそれなりにヒヤヒヤすることも多々あった2015年を終えて、早くも新年が1ヶ月過ぎゆきつつある今日この頃、いかがお過ごしでしょうか。
生き方をドラスティックに変えた去年と違い、今年はグッとエンジンをかけて過ごすつもりです。
去年は会社を辞めて転職し、ひとり暮らしを辞めてふたり暮らしを始め、不要なものはポンポン手放した。
若干の躊躇いもあったけど、変えることは意義があったと思う。
自分の仕事観について考えたところ、やはりお金よりも好きな人とともに好きな場所で働けることを大切にしたかった。
いつ死ぬか分からないし、それなら毎日もやもやした職場への行き帰りの中で死ぬよりは好きな場所への行き帰りの中のほうが後悔も少ないだろうな、と言う…。
おかげで心身ともにかなり元気になったし、生きていて良かったと思えることも増えた。何より、そばに居てくれる彼女には感謝しかない。こんなに子供じみた自分のそばで過ごしてくれているなんて、常に不思議しかない。
こんな平穏と幸せを、どこまで抱えて生きていけるかなぁ。

人は「自分にとっての幸せとは何か」をどこかで定義できない限り、同じ場所をぐるぐると回り続け、同じ問題を延々と悩むことになる。
環境を変えることはそうした場所から抜け出す機会となり、色々な人に出会うことは、問題を解決するヒントをもたらしてくれる。
(ひとつ大切なのは、自分と同じような人が集まる場所に出向いても意味が無い、ということだ。自分と全く違う業界に足を運び、そこにいる人たちの経験を様々な形でヒアリングできたことは大きい。)
僕はこの半年で、原体験としてそれらを学んだ。